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某月某日、
謎はその日もまんなかにある
山内優花
書かれたものはすべてフィクションであって、そのことに異論はないのだけれど、じゃあこの、いま、こうしてこの文章を書いているこれや、喫茶店でぽつぽつと会話をすること、笑うこと、理由もなく鬱鬱とすること、文字通り生活をすることなど、これはフィクションではないですと断言できる部分はいったいどこなのか、考えれば考えるだけ、わかったような気にもなれるっちゃあなれるけれど、やっぱりそれは、わからんままで、わたしはそのことが、ちょっぴり愉快。このまえ古本屋でなんとなく手に取った小説が「生きるということは過去を思いだすことである」みたいな文章ではじまっていて、その気持ちは嫌というほどわかるので嫌やわと思って、しかしそれを「書くということは過去を思いだすことである」に変換してみれば、やっぱりそういうことな気もしてきて、わたしにとって書くことは、生きることとなんら変わりないように思えているのであって。
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