部屋
坂根望都花
目が覚めるまえにはベッドの広さに気づいていた。
Kは夜型のくせに決まった時間にきちんと朝食をとらないと気がすまない質で、習慣によるものであるのだから仕方がないと頭ではわかっても、わたしはわたしの願望として、昼も間近の時間帯におはよう、寝すぎたね、おなかすいたね、とか寝ぼけ眼で笑いあう朝がこないかとおもったりはする。とうていきやしないことをとっくに、わたしは知っている。わたしが早起きすればいい話かもしれないけど、それはわたしの習慣によってできない話だった。
キッチンから音がする。二口コンロにこだわって探した部屋だったのに、わたしはほとんどつかっていない。Kがひとり分の朝食がのった皿をもってもどってくる。ローテーブルに皿を置き、座椅子に腰かける。その動作の流れで一瞬だけ、確認のように、わたしの目が開いているのをKは見る。
「冷蔵庫の中のきゅうり、やわらかくなってたから捨てといたけど」
けど、なに。なんて、わたしは聞かない。Kもなにかをわたしから聞きたいわけじゃない。ただ、Kに見つかるまえに捨てておけばよかったとわたしの胸はひっそりと冷える。それだけ。
Kがトーストをかじる。わたしは朝は食べない。
「きょうは、体調は? 仕事探しはどうするの」
また。まえならきっと笑っただろう。起き抜けにする話? 顔を洗うより目が覚めるだろ、なんて言ったり言われたりして。
「体調は、悪い」
これ以外の返事はない。きょうに限らず、わたしはこれ以外の返事をKにしてあげられたことは一度もない。大丈夫? はもちろん、へえ、の一言すら、Kからはない。
Kは朝食を食べ終え、皿をキッチンにもっていき、洗う。またもどってきて座椅子に座り、ノートパソコンを立ちあげる。しばらくキーボードを叩き、「他には?」とわたしに聞く。三日に一度ほどのこの質問を、わたしは毎度毎度、馬鹿丁寧に真剣にかんがえる。
「カーテン、新調しない?」やっとのおもいでわたしは言う。「裾のところがちょっと汚れてきたでしょう。今度は白じゃなくて、緑色とかどう。目にやさしいし」
Kがわたしを見る。
「なんで?」
この目で、Kにこう言われると、わたしはなにも言えなくなる。わたしはもうほんとうに心底懲り懲りしているのに、三日に一度、Kに答え、なぜかと聞かれ、見られ、律儀に黙りこむ。
「いらないよね?」
いらない、とわたしが言ったのを聞き届けてから、Kはいつも、カートに入れた食料品といくつかの消耗品の注文を確定させる。その問いかけとほんの一瞬の待ち時間はKのわたしに対するやさしさや気遣いではなく、単にKの育ちの良さの延長にすぎないことをわたしはきちんと飲みこんでいる。Kはオンラインショッピングのウィンドウを閉じ、そのまま仕事をはじめる。わたしはベッドの上からそれを見る。Kの顔はつるりとしていて髭がない。Kが仕事のときにかける眼鏡が黒縁から銀色のほそいフレームのものに変わっていたことに気づいたのはきのうで、いつから変わっていたのかをわたしは知らない。とっくに変わっていたのかもしれなくても、K自身はなにも変わらないのでわたしがKのかすかな変化を知覚できるまでいつまでも時間がかかる。ほんとうはもっと、なにか、決定的に変わっているのかもしれなくて、けれどそれはわたしが気づくか、Kが申告してくれない限りは永遠に存在しないのとおなじだった。
わたしたち、とこのまえなにかをかんがえているときにふとおもって、ふとおもったはずなのに、わたしたち、の言葉にひどく違和感をおぼえ、思考はそこで停滞した。わたしはKからとおく隔たってわたしであり、Kはわたしからとおく隔たってKだった。ここに空間があり、わたしがいて、Kがいて、けれどそれだけだった。他人よりももっととおいような気がした。わたしたちはとうに、なにかを共有しあって言葉や感情をやりとりさせる「わたしたち」をとおりすぎてしまったという意味でのみ、わたしたち、という言い表し方はしっくりときた。
Kはパソコンでの仕事をし、ときどき休み、立ちあがってキッチンに行きコーヒーを淹れたりトイレに行ったりして働きつづける。わたしはベッドで横になったり、ときどき咳こんだり、体調の悪いひとの義務を果たして白湯を飲んだりするけど、Kがトイレに立った隙を見てさっと屈伸をしたりかるくストレッチをしたりして、記号的な無意味をくり返している。けれど表面の薄っぺらをなぞらないことには、わたしもKも成り立たなくなってしまっている。わたしが空咳をするたびに、Kの微量な軽蔑が部屋によどんでいき、わたしたちにはカーテンを開ける気力ももうない。
昼の食事は出前をとる。ときどきわたしがつくる。出前で届く料理の味を、わたしもKも好んでおらず、それでもこの注文をやめる気がないのは、わたしとKしかいないここに、わたしとKのことなんかまったく知らない赤の他人がドアをあけて外の空気を持ちこんでくれることにすくなからずの安堵を感じているからだった。わたしもKも、出前の配達人に対して、愛想はなくてもとても丁寧に対応をし、彼らが帰るときにはありがとうございましたと綺麗に発音をした。
Kは働き、ときどきやすみ、本を読み、音楽はかけなかった。わたしは起きあがり、眠り、また起きあがり、部屋の掃除をした。
夜が来たら、わたしたちは食事をとり、風呂に入る。ごくまれに、映画を観る。それもある種の第三者の介入だった。映画を観るとき、Kはすこしの酒を飲む。Kは酒につよい。わたしはK以上につよいが、もう随分飲んでいない。
映画を観終えると、わたし、K、おなじくらいの確率で、K、わたし、の順でベッドに横になる。ベッドは広く、どちらかがどちらかに寄りそおうという意思がなければ接近はない。わたしもKも、寝相がいい。
Kは壁のほうをむき、それはつまりわたしには背中をむけていた。わたしはKの背中のほうをむく。
「おやすみ」
と、Kは言う。きちんとしたただしい発音。Kはどこまでも育ちがいい。
せめて、毎晩、性行為をもとめてくるような浅はかなかわいげがKにあれば、わたしはそれを役割として果たしつづけ、朝がくれば咳なんかしなくたってぐったりしていられただろう。日中に寝ても寝ても、わたしは夜になるときちんと眠ることができた。それはわたしの健全だった。